若かりし日のある6月。当時付き合っていた彼女に、これからの夢を効いたことがある。言ってみたいところ、食べたいもの、欲しいもの、子どもの数、そして二人の未来について。彼女はうれしそうに、そして真剣に、たくさんの夢を語ってくれた。私はそのとき、その全てをかなえることを彼女に約束した。これが私のプロポーズだった。
それから6、7年。ここだけの話、妻が語った夢の内容のほとんどは忘れてしまった。唯一記憶に残っているのは、子どもが3人欲しいと言っていたことだ。今、その夢は叶い、2人の娘と、1人の息子が言えの中で大騒ぎをしている。私は、妻の夢の少なくとも一つはかなえることができたのだ。
しかし、その夢のカタチとして生まれてきた子どもたちへの責任も同時に生まれた。夢だけでは語れない、子育てはとても難しい。理想論では語れず、とても悩むことがある。私たちの子育ては、毎日の瞑想の中でなんとかやりくりされている。そんな中、単純に<夢を叶えること>=<幸せ>ではないことに気付く。
幸せはきっと叶った夢の一つ先にあるのだろう。私にはクリニックを立ち上げるという夢があった。この夢は叶ったが、それだけではなんにもならなかった。当たり前だが、そこで患者さんの治療をし、たくさんの人を幸せにできて初めて、私も幸せになれるのだ。
妻の夢の続きを思い出した。私たちが、おじいちゃんとおばあちゃんになっても、笑顔で一緒にいたいというものだった。妻はこのとき、夢を叶えたその先の幸せまでを考えていたのかもしれない。子育てを一生懸命して子ども達が元気に巣立っていくのを見届け、そしてまた夫婦二人に戻る。
私が今になって気付いたのは、年下の妻に精神年齢が近づいてきたからかもしれない。共に夢を叶え、そして幸せになろう。夢を語ったあのときの笑顔のまま、おじいちゃんとおばあちゃんになろう。妻よ、これからもよろしく。
2014年12月23日 日本海新聞掲載